護憲派は近年、盛んに「政府は立憲主義を守れ」と主張している。
しかし今の憲法自体が、
果たして“政府に立憲主義を守らせる”憲法に
なり得ているのかどうか。
先ず、その点が問われなければならない。
これについては、憲法学者で慶應義塾大学教授の
横大道聡氏の議論が参考になる。
「マッケルウェインらが指摘するように、
日本国憲法の規定スタイルの特徴としてまず挙げられるのは、その短さである。
190か国の憲法典の『長さ』の中央値(英語ベース)が
1,3630語であるのに対して、日本国憲法は4,988語しかなく、
世界で5番目の少なさである。
そして、歴代・各国の憲法典に規定された事項から選出した92事項のうち、
日本国憲法にはその33%が規定されているに過ぎない一方、
法律で対応できる領域・事項が非常に多く設定されている」
「そのような構造的特徴を有するが故に、
日本国憲法典を改正せずとも多くのことを法律によって実現できるのである。
『戦後日本では、憲法典の改正こそ行われていないが、実質的意味の憲法改正は行われている』
(待鳥聡史「政治学からみた『憲法改正』」、駒村圭吾・待鳥編『「憲法改正」の比較政治学』
平成28年、弘文堂)との指摘の通りである」
「日本国憲法は…政治部門を主体とした憲法秩序の変動が生じやすい制度設計であった
可能性を指摘し得る。
そうだとすれば、昨今の政治状況下での政治部門の『解釈改憲』ないし『立憲主義の破壊』を、
政権担当者や有権者の資質の問題として捉えるだけでは問題を見誤る恐れがある。
それを可能とし得る日本国憲法の制度設計にも目を向けるべきだろう。
その意味で、昨今の日本の議論状況に対して、
『統治者が立憲主義を守るかどうかではなく、日本国憲法が立憲主義を守らせる憲法であるか
どうかこそが、学問としての憲法学の関心でなければならない』とする井上武史の指摘
(「日本国憲法と立憲主義」『法律時報』86巻5号、平成26年)に、筆者も共感する」
(「憲法のアーキテクチャ」、松尾陽編『アーキテクチャと法』平成29年、弘文堂)
と。
護憲派は、既に“呪文化”している
「権力による憲法破壊を許すな」との糾弾を、虚しく繰り返す前に、
「日本国憲法が立憲主義を守らせる憲法であるかどうか」
を、冷徹に再吟味する必要があるのではないか。
もしそうでなければ、
憲法改正こそが立憲主義を守る唯一の選択肢だろう。
「構造が行動を決定する役割を果たし、
同様に構造が政治過程の成果(outcome)を決定する役割を果たす」
(B・ガイ・ピーターズ)からだ。